[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ベンチの上で猫が二匹、桜の木を見上げていた。 猫にも桜の美しさがわかるのだろうか?。
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
小道具におけるリアリズムというのは基本的に
「現実に既にあるもの」と「現実に生産可能なもの」だと思う
アニメとかマンガで「コレってどうやって作ったんだ?」というような
奇抜なデザインの衣装とか装飾がよく出てくるんだけど
がっかりすることが多いのはそういうことなのかなと最近良く思う
現実という「あらかじめ限界を定められた世界」で生きている私たちは
その中で希望を見出すしかない
その皮膚感覚とある種の絶望感が、己の生を確認することができる唯一の術なのだ
人が美術品を素晴らしいと思うのは
「既定のもの」を観察する者の想像を絶する高みにまでに昇華してみせるからだ
美術品に注がれた労力と技術、情熱と妄執が
「不可能なものも可能にする事が出来るのではないか」という希望となる
それが私が思う「希望」であり「リアリズムの重要性」なのだが
どうか?
2007.01.19 | Comments(0) | Trackback() | 雑記
忍者ブログ [PR]